翼を広げて嵐を巻き起こしえんやこらせとギリギリで生きてきたジャニヲタが、痛みを感じてもありのまま立ち向かうまでの23年間その1
こちらは今現在(2018/08/02現在)Hey! Say! JUMPの岡本圭人くんを応援する、えーコの、とーーーーーーーっても長い、ひたっっっっっっっすら長いジャニヲタ自担歴ブログです。
えーコ界隈では鉄板ネタになりつつある紆余曲折抱腹絶倒(?)自担歴を、岡本圭人くん担歴3周年を記念して、ブログとして残しておこうと思いましたので、お付き合いいただければと思います。
注:事細かにしっかりと当時のことを記録したいため、途中途中にわりと強めの表現やdisりに取られかねない発言が出てきますが、全て個人的意見とその後の文章につながりますので、大きな心と大きなお目目で見てください。
まずは簡単に自担歴から
①岡田准一くん(1995〜2000)
②櫻井翔くん(2000〜2006)
③横山裕くん(2004〜2011)
④赤西仁くん(2005〜2010)
⑤上田竜也くん(2010〜2018現在も)
⑥岡本圭人くん(2015〜2018現在も)
第1章
岡田准一くん
1995〜2000
翼を広げて期
まずはじめに、オカンが慎吾くん担だったため幼少期からSMAP兄さんのイベントやコンサートに駆り出され、ハマることはなくともすでにしっかり地固が済んでいたわたしは
それでもなんとなくその頃の時代の空気感(ジャニヲタがまだちょっとだけ名乗りにくい世の中)を忖度し、『ジャニヲタです』顔をひた隠しにして、ふっつーにへらへらと生きていました。
そんな1995年…
突然のわりと強引な転機が訪れます。
V6デビューのほんの少し前
バイト先で、そこそこ自己主張強めな先輩が当時Jrの三宅健くん担なことは、なんとなーく職場の空気で感知しながらも、わたしには関係のないことです顔で過ごしていた夏終わり…
「ねぇねぇ、ジャニーズだったら誰好き?」
…はい?
「好きでしょ?ジャニーズ」
…えええええ…
注:当時からわたしの服装はいわゆるバンギャ路線で、真っ黒の髑髏の十字架のレースのギッラギラのゴッスゴスだったため、外見からはとても『ジャニヲタ』とは判別不可能です。
「好きな気がしてた」
…き、らいでは、ないです。←
「今度健くんがデビューするから、一緒に代々木体育館に行かない?」
…健くん とは。
そして半ば(ていうかほぼ120%)強引に、代々体に拉致られたわたしは…
そこで
まーーーーーーーーったく踊れず
まーーーーーーーーったく声援を受けず
まーーーーーーーーったく浮きまくりの
関西弁を喋るほっぺが真っ赤な、前髪真ん中分けの顔の濃い、アホのコを見つけるのです。
…すみません。つかぬ事をお伺いしますが、あの…あの右っ側の小さいコは…
「あぁ、岡田ね。(とてもどうでもよさげ)」
…おかだ…_φ(・_・メモメモ
会場をほぼ埋め尽くす黄色い歓声と、うちわの数…
しかしそのどれもに『岡田』の文字はなく…
きゅっきゅっきゅーーーーん…
よし。わたしはこのコがちゃんと踊れるようになって、ものっそい人気者になって、1番きゃーきゃー言われるようになるまで応援するぞ!!!!!!
ここからわたしの『端っこ見切れ要員だって、いつかは真ん中になって人気者になるんだもんね見てろよ応援』態勢が出来上がるのでした。
そこから、健くん担のおともだちのおともだちで、当時Jrの松本潤くん担の方、当時Jrの小原裕貴くん担の方とも知り合い、なんとなくジャニヲタlifeがぬるっと始まったわたし。
V6デビュー当時はJr人気全盛期でもあり、それこそタッキー&翼、嵐のメンバー、山下くん、斗真くんなどなどなどなど…むしろJrの方が人気なんじゃないの時期で。
V6のコンサートに行っても、Jrのファンの方のほうが多いんじゃないかな?って思うほどで。
こちらとしては、なかなかにぐぎぎなときもあったりもして。
相変わらず岡田くんはとんちき関西人枠を一生懸命繰り広げ、カミセンでの人気は上がっているようにも見えず…そんな中、番組でもコンサートでも一時期タッキー&翼&櫻井翔くんがバックに付く時期があり
タッキーは剛くんの後ろ
翼くんは健くんの後ろ
翔くんが岡田くんの後ろ
という配置で。
岡田くんよりも当時人気があり、わりとイケイケだった翔くんは、カメラ目線も岡田くんよりバッチーーーンキメ、ちっちゃい体で前に出て来ちゃーかぶってかぶってわっちゃかし…
ついに
花道最前の良席でウッキウキのわたしの目の前で、岡田くんにまるかぶりしお手振りを阻止する暴挙を達成。
おい、おま…
ちょ、まてよ。
ここで登場するのが、のちに何回か書き加えられていく『Jrぶっ飛ばすリスト』です。
①桜井翔(当時桜表記)ぶっ飛ばす
そしてさらに追い討ちを掛ける事件が勃発…
とある月曜日
小原くん担の友人に誘われて、お見送り(NHKで放送していたJrの番組、現少年倶楽部の収録に参加するJrが、最寄駅の渋谷駅からNHKまで行く道すがらについてって、トップとセカンドの許可を得てちょっとお話ししたり、お手紙を手渡ししたり出来る公認応援システム)に出向くわたし。
当時小原くんは翔くんと仲が良く、一緒に渋谷駅からNHKに向かっていたため、この日も二人で渋谷駅に登場。
しかし、実は大人気だった小原くんに比べ、ちょっとばかりチャラみがすぎた翔くんはちょっとしたアレなメンバーとつるんでいたりもしたりもして、人気が下降気味。
小原くんには20人付くのに、翔くんには2.3人…
当然、小原くんと翔くんの間に小原くん担20人が入る展開。
引き裂かれたまま、お見送りはここまでですよポイントの交差点に差し掛かり…
無事、青信号で渡った小原くん…しかし、われわれのセイで渡れなかった翔くん
「っっち。」
最後列にいたわたしの真後ろから放たれた舌打ち…
い、今…舌打ちした?
振り返るとむっちゃキレ顔の翔くん。
(注:邪魔をしたわたしたちが悪い)
おっま、まじ…おい…
ぶっ飛ばすリストに『まじ』が追加される。(ごめんね、翔くん)
そんなこんなありまして(岡田くんのこと全然書いてないな)
1999年の夏…
健くん担が「たぶん、新しいグループがデビューすると思う」
のひとことから、誰がメンバーになるんだろう会議が始まる。
早くから、MAIN(松本潤くん相葉雅紀くん生田斗真くん二宮和也くん)は候補入り(注:ヲタの妄想会議です)
さらにここ最近今まで出演してなかったのに8時だJに出演し始めた大野智くんがあやしいと候補入り
同じく中堅どころでむしろ後ろの方に座ってたのに、いつしか松潤の隣に座り出した櫻井翔くんをみんなが推す中、頑なに拒否するわたし。(ごめんね、翔くん)
だがしかし…
ぶっ飛ばすリストぶっちぎりの第1位に君臨したまま、桜井翔くんはその後1999年に嵐のメンバーに選ばれ、当時CD屋で働いてたわたしは松本潤くん担の友人にデビュー曲をフラゲ10枚を頼まれて、なんかよくわかんないけど記念だから翌日の握手会行く?
みたいなノリになりデビュー曲を1枚買い取るかたちで始発で代々体へ…
なんせぶっとばすリストからは除名されていないもんですから、そんな簡単にはその汚名(汚名っておまえ、それはさすがに失礼だろ)を払拭しきれず、このときは特になんてことなくスルー。
嵐、こえーな
人気、すげーな
でも、桜井翔まじぶっとばす
で、過ごしてきた2000年
ついに新たな転機が訪れる。
岡田くんがバーターではなく出演したドラマ『オヤジぃ』において、突然眉を激細にする…
うん、よし。
先輩とではなく、外部からの出演依頼でドラマに出演することになって、もう充分岡田くんは成長しそして人気も不動のものとなった。
わたしの役目は終わった。(なにさま)
そんな2000年の大晦日(たぶん)
タッキー仕切りのJrの番組を何気なく見ていたわたしは、信じられない光景を目の当たりにする。
第2章
櫻井翔くん
2000〜2006
嵐を巻き起こし期
タッキー仕切りの番組で、ロケに出ていた嵐の5人。
ボーリング場にて、年またぎの瞬間に全員でストライクを出し続け最後までストライクで終わらせるゲームに挑戦。
ほうほうほう…
これがまた練習を重ねる内に上達するメンバーを横目に、何度やってもカーブしてしまいガータを連発し、流れを止める人がひとり…
櫻井翔くん。
おまえだ。(おまえゆうなや)
今でこそ『櫻井翔くん=優等生に見えて意外とぽんこつ』が定着しているが、まだまだ個人的にはぶっとばすと言えばぶっとばすの位置にいたため認識が甘く、
…え、櫻井翔くんて慶応出ててなんでも出来ちゃってYo-Yo-Yoなんじゃないの?
え、まじへたくそなんだけど、完全にみんなの足引っ張ってんだけど…
と、ものっそい哀れみに近い衝撃を受けるわたし。
そのままぐっだぐだでゲームは成功せず年越し…
おいおいおい…完全に君のセイだよね?え、まじで?
きゅっきゅっきゅーーーーーん…
よし。わたしはこのコがボーリングが出来て、一番人気になって(当時は松本相葉二宮人気が先行していたように思えた)センターになってYo-Yo-Yoするまで応援するぞ!!!!!
そして始まるちょっとした『奥ゆかしくも歯がゆい厨』(主に勘違い)
翌年2001年
発売されたものっそいでっかい箱の1st アルバムに引きつつ、一般発売で手に入ると知った春のコンサートさいたま公演を徹夜でぴあ前に並びゲット。
同時期に開催されるV6のコンサートに行かない選択をし、当時相方だった剛くん担に「嵐に行くから行けない」とマジレスして音信不通になられ…
ながらも、enjoy嵐lifeが始まる。
超絶人気の嵐かと思ったら、なんともまぁそうでもなく…
『奥ゆかしくも歯がゆい厨』の本領発揮。
公開するや閑古鳥な主演映画を1日に何回も見て、自分が嵐を支えてるんだ的勘違いを発動したまま順調にへらへら過ごし…
花男ブームの一歩手前で開催された『WISH』握手会において嵐担至上最強の事件発生
急遽開催された握手会は、松潤がドラマ撮影のため途中何回か退場するという異例の展開。
にも関わらずそこそこの大盛況。
早朝並んでも4時間待ちでようやくブースに到達…
松潤不在の時間帯だったが、それを確認する間もなく、自分らの後ろにスタンバったおねいさんたちに腰部分を持たれ、流されていくシステム。
われわれ入ってすぐが相葉ちゃん、次が大野くん、間があいて、翔くん、ニノの順番。
ちょっと調子こいていい感じの卸したてのブーツを履いてきたわたしの脚も、脳みそもとっくに限界。
えんじ色のベロア調のジャケット(おそらく私服。not迷彩)を着た翔くんの前に来て、ちょっとしたパニック状態に陥るわたし…
「あの、好きです!応援しています!がんばってください!(過去にぶっとばすリストに入ってたことは絶対に言えない)」
翔くん「ありがとう(笑顔からのキラキラ〜〜〜〜←見えた)」
ぷっちーーーん…
記憶、ふっとぶ。
ニノとなんとなく握手。
からの
背後のスタッフ「すみません!手を!」
ん?
は!!!(ニノの手を掴んだまま、われわれとを隔てる長テーブルから引きづり出して連れ去ろうとしている現実を確認)
「ニノ、ごめん!(タメ口)」
はい、終了。
後にも先にも、これ以上ない大失態。
それは2005年のことじゃった。(昔話み)
そして順調に(前科1犯)時は流れ…
2006年、またしても転機は訪れる。
当時映画館で働いていたわたしは、全く権限のない平の分際で、記念すべき櫻井翔くん初主演映画『ハチミツとクローバー』が公開されないことを知って、上司に嘆願しものっそいよくわからない気迫と強引な推しでもって公開にこぎつけ、ここでよくわからない達成感を1度味わう。
さらに、元自担の岡田くんと共演し、わたしにとって人生のベストオブドラマでありベストオブ映画の座に降臨し続ける『木更津キャッツアイ』のほんとのほんとに最終回でもある『ワールドシリーズ』の初日舞台挨拶のチケットを求め、渋谷のスペイン坂に2連泊する驚異のヲタ活を極める。
しかもその日は、くしくも兼ねてからちらっと応援していた関ジャニ∞の山梨公演当日(チケット持ってたのでそのまま山梨へgo。なお、この話の詳細は次の項目で…)
そこで
なんかもう、
あれだな。
思い残すことは
ないな。
みたいな虚無感というか、達成感というかやり切った感を抱き…
の、
前に
第3章
横山裕くん
2004〜2011
えんやこらせ期
ん?スライド式って言ったけど、翔くんと時期が微妙にかぶってるよね?
そうなんですよ…これがね?
嵐がんがん応援していた時期(『時代』とかのころ)、少クラの司会をしていたのが
嵐がゲストでくるたびに、ちゃんと進行したい風間くんと、あんまり話は聞いてないけど一応ちゃんとしてたい山Pの邪魔をするように、お金の話ばっかり振る関西人ヨコがね。
当時のわたしの新たな『ぶっとばすリスト第1位』だったわけですよ。
とは言え、関ジャニ∞がデビューする際はCD屋でまだ働いていたこともあり、それなりに売ろうという意識はあり。
そして、後輩がデビューするときはアルバムを買ってあげるという御祝儀買いの対象でもあり。
ちゃんと2004年のデビューアルバムは発売日に購入し、ミセテクレとかHeat is onとか好きだったりもしたわけです。ちゃんと。
さらにさらに、ちょっとだけ話は前後しますが
当時NEWSにも在籍していた錦戸亮くんと内博貴くんのことを応援していたもんで(NEWSも御祝儀買いしてました)ほんとうにちゃんとグループとしては応援する気持ちはもともとあったんです。
で、そんな2004年のある日、
ネットで知り合った渋谷すばるくん担のおともだちが「東京国際フォーラムでやるコンサートに一緒に行かへん?ていうか泊めて?」とこれまたわりと強引に誘ってきて…
まぁ、断る理由もないし行ってみたいなぁと思ってたもんで、するっとぺろっと行ってみたらなんと7列目(しかもドセン)ていう。
が、しかしですよ
ちょっとだけヨコさんのうちわ買ってもいいかなーと思ってたのに、ヨコさんのうちわは早々に売り切れ、わたしは亮ちゃんと内くんのうちわを購入。
なんとなーーーーーく、ぼーーーーっと過ごして終了。(おい)
なので、このときはまだ翔くん全盛期だったもんで、なんとなーーーくちょっと応援しているけどもーーーくらいの感じで。
それが、2006年木更津キャッツアイの初日舞台挨拶のチケットを2連泊でゲットした瞬間に解き放たれ、その日の山梨公演でスッコーーーーンと落ち。
ヨコさん至上最強にぽっちゃりして、坊主頭の時期(『拝啓、父上様。』と関風ファイティングの時期)にハマるという偉業を成し遂げるえーコ。
こうなったら怖いものなし。
続く冬の横アリもキメ、さらに翌年の47都道府県ツアーでは東京ドームからの数日後長野をキメ、有閑倶楽部で最高潮に達し(この時期すでに掛け持ちレベルに達していた、赤西仁くんとの共演ということもあり、わたしのジャニヲタ人生で一番のグイグイ絶好調期突入)
このままずっとヨコさんと赤西くんでうはうはへらへらして過ごすんだろうなぁーと思った2010年
これまた転機が訪れる。
ヨコさんのソロコンサートツアーを、ほぼ全ステするほどハマり散らかした矢先
掛け持ちといえば掛け持ちな赤西くんがKAT-TUN脱退かも的な事態に。
でも、どちらかというとヨコさんに比重を置いていたため、なんとか持ちこたえるえーコ。
それにしても、忘れられないヨコさんのソロツアー。
ヨコさんお誕生日に開催したのは富山。
やこバで行ったはいいが、電車の始発は1時間後。
駅前にはコンサート会場のみ。
時間を潰せるネカフェは隣の駅。
始発を待って、ネカフェに行った思い出。
前から11列目でお誕生日のお祝いをして、大量に降ってきた銀テを会場外で配って…
ほこほこ幸せ気分で大阪城ホールも終えて、青森公演…
泣いているのを隠すように、客席に背を向けて歌う『オニギシ』
ヨコさんが居たから、赤西くん脱退がそれほど重くならずに過ごせたんだなぁ〜と今でも感謝。
そしてそして、2011年
震災後に放送された24 h TV。
大役のメインパーソナリティーを立派に勤め上げる関ジャニ∞を見て、もうここまできたんだなぁと実感。
そこで、よし。もう大丈夫だなとそのままスライド式にKAT-TUNヘ移行。
第4章
赤西仁くん
2005〜2010
ギリギリで生きてきた期
もともとはまだまだ全然嵐最高〜ふっふーーー!!のCD屋で働いてた時期に、後輩ちゃんがごくせんで亀ちゃんを見てドハマりし「先輩ジャニヲタですよね?自分初心者なんで、教えてください!」ってお願いされてからの、先輩風吹かせまくりスタートのKAT-TUN。
よう知らんくせに偉そうに話してたあのころ。(ごめんよ、後輩ちゃん)
後輩ちゃんの推しに負けて『ごくせん』を見るも、まだまだ嵐ふっふーだったために、ギラってオラっている(ように見えた)世界には馴染めず(今となってはむしろこっち系)うん、まぁ…強いて言うならわたしはこっちのコ(赤西くん)かなぁ〜レベル。
と、は、い、え
ギラってオラっても根はいいこ。みたいな感じたまらなく大好き人間だもんで、いつアクセル全開になってもおかしくないところでキープ。
そしてわかりやすく2006年デビューと同時にどっっっっっっっぷり。
なにこれむりなんだけど期に突入。
ヨコさんと並行して、掛け持ちっちゃー掛け持ちみたいな(掛け持ちだろ普通に)感じに奇跡の有閑倶楽部コンビを応援。
デビューして半年で、半年海外留学しちゃうのカッコイイ〜〜〜〜みたいな
帰ってきて早々主演ドラマ決まっちゃうの超イケメ〜〜〜〜〜ンみたいな
ヤル気ない(感じ出す)の最高〜ダンスちゃんと踊らない(けど誰も怒らない)の最高〜一番人気(だったらしい)最高〜
なんて言ってたら、2010年まさかの脱退するかも空気流れるの巻。
最初はふわっと「海外からツアーのオファーが来て、それがKAT-TUNのツアーとかぶるから、そっちは出ません」みたいな発表だったのに、なんかもっさもさしてる間に「秋くらいにちゃんと発表しますけど、脱退かもしれませんがそうじゃないかもしれませんかもしれません」みたいな感じになり…
「やっぱやめまーーーーっす」ってことになって、なんだかなぁ〜…
で、普通だったらここで自担を取ると思うんですね?
赤西担なんだから。
でもね、二つをわかりやすく天秤にかけたときに、KAT-TUNだったんですよね。
どっちを応援したい?って聞かれたときに、KAT-TUNです。って。
すごくシンプルに、次のシングル聞きたいのはKAT-TUNで、次のアルバム楽しみなのはKAT-TUNで、次のツアー行きたいのはKAT-TUNで。
でも実際はすぐに上田竜也くん担になったわけではなくて、わりと箱推しみたいな感覚で。
やっぱ好きだなぁ〜って。
そしてヨコさんのおかげでなんとか重くならずに赤西くんとさようならをしたわたしは…次のステージに。
第5章
上田竜也くん
2010〜2018(現在も)
まだまだギリギリで生きている期
一応2010〜と書きましたが、自担という意味で正確にいうと2013〜なのかもなぁ〜
というのも、5人が好きだったりもしたので箱推し期が結構長く。
中でも上田くんが好きって気持ちはあったんですけど、自担というまでには至ってない感じで。
ところが、2013年またしても転機が。
春頃からあんまり良い噂を聞かなくなった感じで…そのまま夏になり中丸くんと田口くんと3人でやっているラジオに1人だけ出演しなくなった田中くんが、突然の解雇脱退。
これには開いた口が塞がらないっていうのが一番しっくりくる。
残念というか、なんだったんだ感がすごかった。
赤西くんが抜けて人一倍そのことを言ってたのは田中くんで、人一倍そのことでhyphenを勇気付ける言葉を伝えてくれてたのも田中くんだったので。
でも、わたしの切り替えは早い。
あっそ。
てなもんで。
その年の決意表明とも言うべき鬼気迫る京セラカウコンに行き、一生ずっとこのままhyphenであることを誓うえーコ。
順調に4人の活動を、それこそ気合いを入れ直して応援する日々。
上田くんへの自担熱も増し、一生hyphen一生上田担を宣言してもいいくらいの時期。
なんともまぁ、予期せぬ事態が待っていたよ2015年8月2日。
第6章
岡本圭人くん
2015〜2018(現在も)
痛み感じても、ありのまま立ち向かう期
なんてこった。
が、当時の自分の正直な気持ち。
こんなはずじゃなかった。
が、当時の自分の素直な思い。
順調に降り散らかしてきたわりには、ただのジャニヲタでもあるので
ジャニーズの番組はほぼほぼ毎週録画して見ては消していたため…
この日(2015.08.02)の日曜の朝も普通にいつも通り、昨日見た(22時以降は寝てしまうため、ほとんどの番組が録画翌日再生)タメ旅でも上田くんは旅先で出会ったおばちゃんに求められた握手を、相手の目を見て両手でする良い男っぷり炸裂だったため、まぁーーもうね、9分9厘どっかに落っこちることなんて有り得ない日曜の朝ですよ。
シューイチの中丸くんのコーナーまで、昨日録画した番組見よーーーっと、つって。
つって、再生したのは『嵐にしやがれ』
ですよ。
で、ですよ。
ほうほうほう、そっかそっか今年の24 h TVはV6兄さんと君らHey! Say! JUMPか。
がんばりたまえよ。(俄然上から。なんならこの後すっこーーーんなるなんて思ってないから、ちょっとこう斜に構えた感じの)
で、誰?
ほうほうほう、あぁあぁ、なるほど
知ってる知ってる。(御祝儀買いでデビュー曲と1stアルバムと、ヨコさん主演ドラマだったから『瞳のスクリーン』ともともと好きな金田一くんシリーズの主題歌だから『ウィークエンダー』はすでに持っていた)
亀ちゃんのドラマ出てたコ(中島裕翔くん)ね?
あとほら、やーやーやーのコ(薮宏太くん)ね?
そんでほら、最近流行ってるかわいいコ(伊野尾慧くん)ね?
そうそうそうそう、ひとりKAT-TUNみたいなコ(髙木雄也くん)ね?
ん?
誰?君。
「Sorry,JUN」
ん?見たことあるぞ、このくだり…
確かちょっと前に…
そうだ、KAT-TUN司会の少クラプレミアムで特集した『嵐のワクワク学校』のシーンで…
なんかこんなこと言ってたコ、居たなぁ〜
このコかぁ〜(まだここではこの程度)
「Sorry,JUN」(2回目)
…あぁーあぁー、そうだそうだ。
お父さんが嵐のえっちな写真集(あの写真集はものっそいえっちだと思っている)撮ってくれた岡本健一さんで…そうだそうだ、この前少クラプレミアムにこのコらが出たとき、田口くんとの関係があやしいみたいなくだりのコだ。
田口くんに抱かれたコだ。(間違っているが合っている。でもまだこの程度)
あと、あれだ。
スクール革命(これも毎週録画)に出てるな、英語のコだ。
あのコーナー好きなんだよね〜、ほうほうほう。
なるほどねぇ〜(でもまだこの程度にしては、わりと他のコより多めに推察している)
ていうかあれだ!中丸くんのバーターのコだ!!(もうここまできた。冒頭のトークだけで、ここまできた)
田口くんのドラマとカブったから出られない中丸くんの代わりに(かどうかは知らない)ファーストクラス出てたコだ!(当時、録画して見ては消していた。自分、ばっきゃろう)
はぁーん、なるほどー見たことあるーーー。
そして
だまし
だまし
だまし
箱の中身は誰だろなをやり過ごす。
だまし
だまし
だまし
やり過ごしたにも関わらず
やりやがった。
飛島ゲームでのこと…
裕翔くんが失敗し、あいやーこんなシュッとしてても失敗しちゃうのね〜なんてにこにこ見て、雄也が飛んでおーおーやるやーんってなった次の瞬間
むぎゅぎゃ!
ちょ
ま
え
な
は
む
むり。
今の、
もっかい。
(ついに巻き戻す)
むぎゅぎゃ!
は
な
む
むり。
もっかい。
(さらに巻き戻す)
むぎゅぎゃ!
いや。
違う。
かわいいとか
思ってねぇし。
ぜんぜん
そういうんじゃねぇし。(そっぽ向いて口笛を吹く)
もっかい。
(結局ここだけ10回は見た)
このね、みんながね
足首心配してくれるのがね
またね
いいよね
でさ、
でへへへって振り返る顔がね
一瞬映るんだけどね
(一時停止)
かわいいよね
は!!!!!
違うし。
かわいいとか言ってねぇし。
そんなんじゃねぇし。
もっかい。(しつこい)
その後
スプーンを口にくわえて、玉を運ぶなんちゅーゲイムをし(ゲームじゃなく、ゲイム←なにが?)
それがもう、なんかえっっっっっっっろくてね(いうな)
その後、全身白いのまみれになってね。(言い方)
嵐兄さんに「圭人、髪型変わってない?」言われて
なんて答えたと思います?お客さん(客?)
「でも、すごく美味しいです」
ですよ?
は?
え?
いま、
なんて?
頭、がっつーーーーーーんですよ。
天使の羽根でぶんなぐられた気分ですよ。(意味がわからない)
たぶんその後、シューイチの中丸くんのコーナーのことも忘れ、速攻『岡本圭人』でググって、さらに一番最近のシングルとか検索して、さらにさらに田口くんに抱かれたエピの少クラブルーレイ(見れないので、亀担の相方が撮ってくれたやつ)探し出して見る始末。
だけどね、まだですよ。
まだ自分の中で、こんだけギリギリで生きてきたっつーのに
つい昨日、ちゃんと上田くんやっぱ俺の心の総長だわぁ〜って思ったのに
そんな簡単にコロっと、真逆もいいとこのJUMPいえーいになるわけには
いかんのですよ。
ここでせめぎ合いながら、少クラプレミアムをガン見。
ん?なんて?
7ちゃん「それでは聞いてください『Chau』」
いま、なんつった?
ちゃ
ちゃう
ちゃううぅぅうぅうぅぅううううう!?!??
むりむりむりむり。ないないないない。
目の前でちゃうちゃうちゃう言って舞う9人のきらきら王子様(目は圭人くんをガンギンギラ見)
いやいやいやいやいやいやいやいや…ないないないない。
これはない。(と、思いたかった)
と言いつつ、録画した長時間の歌番組でカットせずに残されていないかデッキ内をくまなく検索。
KAT-TUNと一緒に登場するシーンを発見!!
おっしゃーーーー!偉いーーー!!!残してr……
トーク部分さえ綺麗さっぱりカット。
は…ま、まさか…
次の瞬間
蜘蛛の子を散らすように、ハケていくJUMP
後ろからレーザーを背負って闇から登場するKAT-TUN兄さん。
おーまいがーーー…
いや、全然。
ぜんぜん悔しくねぇし。
お前(自分のこと)なにしてんねん!!とか言ってねぇし。
さらに探す(探すんかーい)
と、なんと!!!!!!!ジャニーズ全部残しのミラクルMUSIC DAYを発掘成功!!!!!!!!!!!!!
よっしゃーーーーーーーー!!!!!
じゃ、ねぇし。
違うし。いまガッツポーズとかしてねぇし。(しつこい)
見ると『RWM』〜『キラキラ光れ』メドレー…
イエッッス!!!!!!!!!!!
いや、ガッツポーズとかじゃねぇし。
いまのはちげぇし。
そして次に検索したのは(まだここまでで8/2午前中の話)レギュラー番組の有無。
お!リトラって前に相葉ちゃんとか安田くんとかやってたやつの弟分みたいな?
あれ好きで見てたんだけどーーーまだやってたんだーーー(実は、光くん雄也圭人くんの初回、見てました。見た記憶がありました)
予約、ポチ。
これが
運命の分かれ道。
いたジャンのことには気付かず、その週(8/5)放送のリトラだけを予約。
でもね、まだね
まだせめぎあってたの。
ほんとうにこの段階では、軽い興味本位っていうか…なんかこう
ちょっと未知の世界に足を踏み入れてみたかった感じで。
が、
しかしだよ。
聞いてくれよ。
その8/5のリトラ
なんだったか知ってる?
教えて欲しい?
聞きたい?
知りたい?
ねぇ、言って欲しい?(しつこい)
岡本チャンスだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
どんがらがっしゃーーーーーんぶっしゃーーーどっしゃーーどがしゃーーーーーん
はい、終了。
はい、無理。
はい、かわいい。
はい、最高。
はい、自担。
自担!?
ようこそ岡本圭人くんへ。
続き〜2018.08までのことは、また後日改めて。